弟からのプレゼント!?

昨日6月9日は弟の誕生日でした。生きていれば、です。弟は34歳の時に心臓発作で亡くなりましたが、もし生きていればちょうど50歳を迎えていたことになります。

母や弟の誕生日、命日には、何か見えない世界からメッセージでも来ないかな、といつも思ったりするのですが、残念ながら今まで特にそれらしいものがあった事はありません。

昨日のことです。茅ヶ崎のポレンさんでのレッスンの帰りのこと。いつものように、茅ヶ崎市東海岸のポレンの駐車場を出て、通称「鉄砲道」と言われるバス通りを車で自宅方面に向かっていました。鉄砲道から「浜見平南口」の信号を左折して、「居酒屋・かんべえ」のところに差し掛かった時に、右の狭い道から小学校4年生くらいの男の子が自転車で勢いよく車の前に飛び出して来ました。

間一髪、急ブレーキをかけて事故は免れましたが、かなり危なかった!19歳の時に免許を取って、もう35年になるけど、こんな危ないのは初めてでした。急停車した後も、しばし呆然としてしまって、後ろからクラクションを鳴らされるまで動けなかった。

こちらはいつもの道で、レッスンの帰り、トロトロと走っていたのですが、事故っていうのはこちらがいくら気をつけていても、起こるときは起こるんだな、と改めて思った。考えてみれば、これだけ車やバイクや自転車が走り回っている世の中で、よくまあ、今まで事故も起こさず、事故にも会わずに済んで来たものだ、と思います。最終的には、すべて「運」としか言いようがありません。

その後しばらくして、

「これは、弟が守ってくれたのかな」

と、思ったのです。ほんのコンマ何秒かズレていたら、間違いなくぶつかっていた。そんなに大事故にはならなかったと思うけど、いくら向こうが飛び出して来たといっても、人身事故になってしまったら、どうしても車が悪いことになってしまうから、しばらくはいろんな処理に時間を取られて、精神的にも参ってしまって、今取り掛かっているニューアルバムの作業にも支障が出たに違いありません。

ああ、今日はマコトの誕生日だもんなぁ。ほんとはぶつかってたんだけど、あいつが「兄貴も、今日は俺のことを思い出してくれてるだろう。僕の誕生日に人身事故じゃ、縁起が悪い」って思って、ちょっとだけズラしてくれたのかな。うん、多分そうだろう、そうに違いない。マコト、ありがとうな。

ま、都合のいいように考えてるだけで、ただの偶然かもしれないけど「弟が守ってくれた」って考えた方が気分がいいからね、そういうことにしよう。

亡き母と、亡き弟。山形の由良海岸にて。弟は2歳くらいかな。という事は、母はまだ32歳くらい。昭和44年頃の写真です。

去年の弟の誕生日に書いた記事です。

今日6月9日は僕の弟の誕生日

 

 

 

今日は母の誕生日。

 

今日、4月25日は僕の母、智子さんの80回目の誕生日です。もし生きていれば、です。僕の母は56歳で亡くなりました。胃ガンでした。ガンがわかり、「あと数ヶ月の命」と言われた時に、僕が真っ先に思ったことは、「自分の弁当箱くらい、自分で洗っておけばよかった」という事でした。
 
高校の時、家に帰ると僕は弁当箱をカバンから出して、いつも台所のテーブルにポンとただ置いていました。母はそれを毎日洗っては、翌日また弁当を詰めて僕に持たせてくれたのです。母が毎日僕の弁当を洗う時間はほんの数分だったかもしれませんが、3年間だと相当な時間になったでしょう。もし僕が、母の人生がこんなに短いと知っていたなら、弁当くらい自分で洗っておけばよかった、と僕は心の底から思いました。母の貴重な時間を、僕の弁当箱を洗う時間に使わせてしまった、と僕は後悔したのです。
 
人はみな、限りある人生を生きています。そして、時々それを忘れて貴重な時間を無駄にしてしまう。若い頃は、人生は永遠に続くような気がしますが、50歳を過ぎれば、誰もが親や友人たちが亡くなることを経験し、人生はそんなに長くはないことを感じ始めます。
 
あと2年で、僕は母の年齢を超えてしまいます。自分よりも母が年下になるなんて、変な気持ちです。
 
まだ親が生きているみなさんは、どうか生きているうちに親への感謝を伝えてください。病気をしないように、食べ物に気をつけてください。酒を飲んで無駄な時間を過ごさないでください。
 
智子さん、80歳のお誕生日、おめでとう。僕に人生を与えてくれてありがとう。いつか違う世界であなたに会えることを信じています。
 
Today, April 25th is my mother Tomoko’s 80th birthday If she is still alive.My mother passed away at the age of 56 by stomach cancer. The thing that I first thought when I got to know she is cancer and she will be dying in few months, was that “I should have washed my lunch box by myself”.
 
When I was in high school, when I got home I took out a lunch box from my bag and always just put my kitchen table.My mother washed it every day and packed the lunch again the next day and let me have it.
 
It may have been only a few minutes for my mother to wash my lunch every day, but for three years for my high school days, it would have been a long time.
 
If I knew that my mother’s life was such a short, I thought from the bottom of my heart that I should have washed my lunch box by myself. I regretted that her valuable time was used to wash my lunch box.
 
Everyone lives a limited lifetime but sometimes we forget it. When we were young, a life feels like it will last forever, but after the age of fifty, everyone experiences about parents and friends dying and starts to feel that a life is not so long.
 
In another two years, I will exceed my mother’s age. It will be strange feeling that my mother will be a younger than me.
 
If your parents are still alive, please tell your appreciation to your parents while they are alive. Please take care of the food so as not to get sick. Please do not waste time drinking alcohol.
 
Tomoko, congratulations on your 80th birthday. Thank you for giving me a life. I believe that I will meet you someday in a different world.
 
1966年、僕の生まれ故郷山形県天童市の舞鶴公園にて。左から、父、僕、母、昨年亡くなった母の妹、恒子。

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1966年、僕の生まれ故郷山形県天童市の舞鶴公園にて。左から、父、僕、母、昨年亡くなった母の妹、恒子。

【山口岩男より、親愛なるみなさんへ】

本日9月21日、わたくし山口岩男は無事53回目の誕生日を迎えることが出来ました。1989年に日本コロムビアからデビューして以来、28年に渡ってずっと音楽を続けて来られたことは、応援してくださったみなさんのお陰でしかありません。心より感謝申し上げます。シンガーソングライター・山口岩男から、ウクレレプレイヤーのIWAOへと変化する過程で、多くの山口岩男ファンを置き去りにし、そしてまた昨年の「ウクレレ界卒業宣言」でウクレレ愛好家の方々を戸惑わせてしまいました。昨年、関口和之さんのラジオ番組の中で「日本一自由なミュージシャン」と言っていただきましたが、一貫性のない音楽活動に(笑)いつもファンのみなさんを振り回して来てしまいました。「居心地が良くなると、そこを離れたくなる」あまのじゃくな性格もさることながら、僕はいつでも、その時の自分に正直に、型にはまらずに音楽をやってきただけです。
そして、誕生日の今日、カミングアウトします。僕は90キロにまで太ってしまった2007〜2008年、深刻な精神薬依存とアルコール依存になっていました。2008年3月、精神安定剤とアルコールの過剰摂取で生死の境をさまよい専門病院に入院、退院後はAA(アルカホーリックアノニマス)などの自助グループにも通い、アルコールとの縁は切れましたが、それから精神薬の依存から抜けだすまではさらに5年かかりました。この精神的にも肉体的も最悪の時期は、多くの方にご迷惑をおかけしました。精神安定剤と睡眠剤の多量摂取でフラフラになり、2年の間に5回も接触事故を起したり、酩酊状態で電話をして、翌日全く記憶がなかったり・・・精神的にも不安定で、ライブやイベントに呼ばれて行って、演奏せずに帰ってきてしまったことも何度かありました。大事なレコーディングを忘れてしまい、スタジオから電話がかかってきて初めて気がついたことも何度か・・・。もうこの世界で生きていけないかな、とあの頃は毎日思っていて、また薬やアルコールの量が増えていったのです。
2013年、一念発起して茅ヶ崎に移り住み、本格的に体質改善に取り組み、アルコールや薬との縁も切れ、現在はすっかり元気になりました。思うように体が動かなかった40代を取り戻すべく、僕は今までの人生で初めてといっていいくらい精力的に活動しています。一度死んだも同然でしたが、そこから必死に這い上がって来ました。そろそろたそがれはじめる人が多い50代ですが、僕にとってはこれからひと花もふた花も咲かせる大事な時。「こいつは化け物か!」と呆れられるような50代以降を過ごすべく、食事に気をつけ、体を鍛えて日々精進しています。今後は自分の経験を生かして、食&健康の講演活動にも励んでいきたいと思います。9月11日に愛知県みよし市で行った「食育セミナー」の模様をYouTubeで公開しましたので、ぜひご覧ください。恥ずかしながら、その頃の写真もたくさん公開しております。タイトルの「『究極のアンチエイジング・プログラム』で30歳若返る!!」はアメリカでベストセラーになった「Fit For Life」(日本でのタイトルは「超健康革命」)を翻訳された松田麻美子先生が付けてくださいました。
今後は、ウクレレ奏者、ギタリスト、シンガーソングライター、講演家、そして作家として、すべての表現を「山口岩男」として行っていきます。
ご期待ください。感謝を込めて・・・2016年9月21日 山口岩男

今日6月9日は僕の弟の誕生日

今日6月9日は僕の弟の誕生日
Today,June 9 is a birthday of my brother.
 
6月9日に生まれて、9月6日に死んだんだ
Born on June 9, he died on September 6.
 
1967年生まれ、もし生きていれば49歳か・・・
Born in 1967, 49 years old if he still alive.
 
2001年のある夜、寝ている時に突然心臓が止まってしまったんだ
In 2001,one summer night, his heart suddenly stopped while he was sleeping.
 
持病もなく、酒もタバコもやらなかったのに
Although he got no chronic disease at all no smoking,no drinking alcohol.
 
彼は僕とは大違いで、小さな頃から無口で引っ込み思案
Big difference with me, he was a very quiet man from he was small.
 
彼のお通夜の席で、彼の幼馴染からこんな話を聞いた
Evening of the previous day of his funeral, I heard this story from his childhood friend.
 
イワオくん、知ってたか?
He said to me,”Do you know this story?”
 
「イワオくんが20年以上前、この町の大きなコンサートホールで初めてコンサートを開いたときのことだよ」
“More than 20 years ago, you held the first concert in a large concert hall in ours hometown.”
 
「あまりチケットが売れていない事を知った君の弟が、小学校と中学校の同級生全員に「兄貴のコンサートのチケットがあんまり売れていないから、助けてくれ!」って電話したんだぜ」
“Your brother gave phone calls to the all classmates of elementary and junior high schools
 
My brother’s concert tickets is not so much selling,please help my brother.”
「あのおとなしい君の弟が、同級生全員に電話したんだ。500人以上だぜ!」
 
“Your brother, such a quiet guy call to all classmates it would be more than 500 people!”
・・・僕はとても驚き、そして泣いた。僕の弟のことを誇りに思ったよ
 
I was very surprised, and I cried. I was so proud of my brother.
 
1000人以上入る大きなコンサートホールは満員にはならなかったけれど、沢山の聴衆が来てくれたよ
Although a large concert hall to enter more than 1,000 did not reach the full, but I had a lot of audience.
 
僕はもう30年ミュージシャンとしてやってきたのに、これと言ったヒットソングもないし、大スターにもなれていないけど
Although I’ve been a musician almost 30 years,no hit song,not a big star.
 
あのコンサートホール(天童市民文化会館大ホール)を満員にするまではやめるわけにいかないのさ
I’m will never give up until I could make that concert hall full.
 
マコト、僕は君の兄であることを誇りに思うよ
Makoto, I’m proud to be a your brother.
 
もしも僕が役者だったら、泣く演技をするのには何の努力もいらないさ
If I were a actor, no need any effort to make the cry acting
 
このストーリーを思い出せば、ほんの数秒で僕は泣くことができるから・・・
Remembering this story I can’t stop crying.
 
読んでくださってありがとう
Thank you for reading my small story.
 
June 9,2016
 
Iwao Yamaguchi

何か、大きな力が

Photography By IWAO yamaguchi

昨日はずいぶん早く寝てしまったので、夜中に目が覚めてしまった。

静まり返った夜の静寂を、時折強い風が破る。

夜中に目が覚めてしばらく起きていると。どうしても「悲観的思考」にとらわれてしまう。

これから、どうなるのかな・・・ってね。

50過ぎて、そう思うことが多くなったよ。

そして、こうも思う。これまでいろんなことがあったけど、何とかよくやってきたよな、って。

綱渡りのような人生で、何度も「危機的状況」に陥って。

でも、「もうダメかな・・・」「この困難、どこに出口があるんだろう?」

って途方にくれていると、いつも、

「何か大きな力」

が働いて、「次のドア」が開いたように思う。

「何か大きな力」っていうのは、この花を咲かせている力と同じ。毎朝、お日様が昇る、その不思議な力。

だから、きっと大丈夫さ。

何とかなるだろう。何とかするだろう。

さ、深呼吸して、朝までもう一眠りだ。

山口岩男「どうにかなるさ」