「ウクレレはショボい楽器」発言について

昨日の投稿で「ウクレレはショボい楽器である」と発言したことに関して、
 
「そんな事はない!ウクレレはショボくない!」とお怒りのご意見を多数いただいた。
 
しかしこれは単純に「比較」の問題なのである。
 
僕は基本的に「ギタリスト」なので、ウクレレを弾くときもギターの頭で考えてから頭の中で整理して
 
「弦を2本引いて、音域を狭くして・・・」と引き算をして考えている。いつも、
 
「ギターなら、ここにも音があるんだけどなぁ・・・」とか、
 
「ギターだったら、この和音にもう一つ音が足せるのに」
 
などと悔しい思いをしながらウクレレを弾くこと(アレンジする事)が多い。
 
この段階では、
 
「ウクレレはショボいなぁ」
 
と思っている弾いてるワケだ。
 
そしてその後に、
 
「なんだ、弦が4本しかなくても、ちゃんと世界観が出せるんだなぁ、ウクレレは凄いなぁ!」
 
と思う事が多い。
 
この時点ではもう、
 
「ウクレレはショボくない」
 
と思っているワケ。
 
これは弦楽器に関して「ウクレレしか弾かない」人にはわからない感覚だろう。
 
単純に、普段クラウンやランクルなどの大型車(例えがトヨタ車なのは、わかりやすいから)に乗っている人が、
友人の軽自動車「スズキ・アルト」に乗せてもらったら、単純に、
 
「ショボいな・・・」
 
と思うことであろう。
 
普段ギターを弾いている人が、コンサートであれテナーであれ、どんないい木を使ったゴージャスなウクレレであれ、
ウクレレを弾いたら、
「ショボいな」
 
と感じるだろう。
 
これは文脈の問題なのだか、
 
「君のスズキアルトは、僕のクラウンマジェスタ 3.5に比べりゃ、ショボいよね〜」
 
と言えば、クラウンの3500ccに比べてアルトの660ccは排気量の差、2840cc分ショボい。
 
スズキアルトをバカにしてるわけじゃなく、単純に排気量も大きさも装備も大きく違うので、これはどうしようもない。
 
だからって、スズキアルトがダメな車というわけではなく、茅ヶ崎の街中のような狭いところでは、圧倒的に有利だ。
 
「小回りが効く」
 
「Uターンが楽」
 
「駐車が楽々」
 
「税金が安い」
 
など、軽自動車のメリットはたくさんある。
 
そういう意味では「ショボい車」では全くない。
 
これはあくまで「比較」の問題なのだ。
 
僕はあくまで「比較」の問題で「ショボい」と書いたのだが、
 
ウクレレを愛する皆さんからは、
 
「ショボいとは何事か!」とお怒りを買ってしまった。
 
これは、この文脈でいうと、
 
「君のアルトはショボいよね」
 
と言われたことへの単純な反感だろう(笑)。
 
・・・でもさぁ、僕がギタリストであることを知ってたら、僕がこう言う文脈で、
 
「ウクレレはショボい」
 
って表現したんだってわかると思うんだけどね(笑)。
「相対評価」として僕が、
 
「ウクレレはショボい」
 
と発言したことを、
 
「絶対評価」
 
として受け取られてしまったという、単純な話だ。
 
「ショボいウクレレを、ショボくなく弾く」
 
これが僕の「ウクレレ弾き」としてのスタンスだ。
 
だから、ウクレレそのものはテナーとかじゃない方がいいんだ。
 
ショボい音の、音域の狭い小さなウクレレの方がいいの。
 
以上です。

ウクレレ初期化宣言

ウクレレという楽器には「ウクレレだから・・・」という逃げ場が最初から用意されている。その「逃げ場」こそ、ウクレレの魅力なのだが、演奏にせよ、製作にせよ、イベントにせよ「ウクレレ〇〇」と言っている以上、一般的にはお遊び程度にしか認識されない。
 
「ウクレレプレイヤー」として20年以上やってきても、未だに「ウクレレと言ったら牧伸二か高木ブーね」以外の事を一般の人から言われたことはない。でもそこで、「それだけじゃないんです!ウクレレは凄い楽器なんですっ!」と、力めば力むほどに、孤独な戦いにはまり込んでいく。
 
はっきり言おう。ウクレレはショボイ楽器である。どう頑張っても、弦長が短く、ショボイ音しか出ない。そして僕は、その「ショボさ」を愛している。だから基本的には、ソプラノで演奏する。僕にとっては、あのサイズでこれだけの楽しみ方が出来るのがまさに奇跡!と思うからだ。
 
「ウクレレ界」の外の「世間」では誰も、
 
・・・「もの凄いウクレレの演奏」とか、
 
「もの凄く高級なウクレレ」なんてものを、
 
求めてはいないのだ!
 
一個5000円のハンバーガーを誰も欲しがらないようにね。
 
趣味でやるには最高の楽器だが、それをビジネスにしようとする時には、それが落とし穴になる。ルネッサンス期には現在のウクレレを(Low-G)「ギター」と言っていたらしい。それでは出来ることが限られてきたので、大型化し多弦化して現在のギターになったのだ。
 
4本の弦と2オクターヴの音域ので「可能性を追求する」事は、先人たちは選ばなかった。それを今、またやろうとしても、限界がある事は歴史が証明しているのだから。
 
ウクレレブーム以前からウクレレを弾いてきた僕の直感として、来年以降「ウクレレ初期化」の流れが出てきそうな気がする。
 
「ユルい」のは好きだけど、「ヌルい」のは好きじゃない。だから、「ヌルいウクレレ業界」にはもう関わりたくないのさ。
 
「ウクレレ界」「ウクレレ業界」から抜け出したところにしか「一流」の世界はないぜ!僕はそこを目指したい。今月、誕生日だし。

 

(続き)
 
「ウクレレの可能性」というならば、音楽的なことよりも「仲間づくりのためのツール」という、カルチャー的な側面を見るべきだろう。
 
リコーダーや大正琴と同じように「音楽的に高度なもの」を求められる楽器ではないので、ウクレレイベントやウクレレサークルに参加するための道具・・・といった位置付けがより強まってくると思われる。
 
プレイヤーに求められるのは、音楽性でもテクニックでもなく、
 
「幹事力」や、「ホスト力」だ。
 
その場を楽しくまとめるための力こそが、「ウクレレプレイヤー」に必要な要素になってくる。音楽なんてどうでもいい。
 
ファンと一緒に写真を撮ったり、ハグしたりして、とにかくファンサービスに徹して「いい人」になりきる。
 
そうして一部の熱心なファンに取り囲まれていれば、ますます他の人たちは入りにくくなってくるが・・・。
 
そうして、一部のファンの間でカリスマであり、かつ「いい人」であり、そこにマーケットが存在すれば、そこそこ喰っていけるだろう。
 
しかし、「いい人」であり続けるのは辛い。僕なんかみたいに、ウクレレファンの間では、
 
「面倒くさそうな人」
 
「感じ悪い人」
 
「怖そうな人」
 
と思われると、普通に笑顔で受け答えするだけで、
 
「えー!イワオさんって、本当はいい人だったんですね!」
 
と驚いてもらえる。
 
印象が良くないだけに、そのギャップのプラス効果も大きい(笑)。
 
しかし、
 
「いい人」
 
がこの逆をやると大変だ。
 
「いい人だと思ってたのに・・・」
 
とその逆に一気に評価は振れるから、一気に評判を落とす。
 
「いい人」をやめて本当に良かった、と思う。