山口岩男/IWAO Yamaguchi OFFICIAL WEB

ちょすなず~袖崎哀歌/なんぼでもたがてげたんともてげ EP セルフライナーノーツ

セルフライナーノーツ

「山形弁はしあわせを運ぶ言葉」

ここ数年は、毎月のように天童の実家に帰っています。高齢で一人暮らしの父がちょっと心配だ……ということもありますが、これも年相応に里心がついた、ということなのでしょう。あんなに山形がイヤで飛びたした僕も、もう50代半ばになりました。若い頃は「過去を懐かしむなんて、ロックじゃない」なんて意味不明の強がり方をしていたけれど、もう故郷を懐かしむ年になったのです。

1992年に第47回国民体育大会、「国体」が山形で開かれました。開催に合わせて山形新幹線が開通、庄内空港も開港しました。東北自動車道から山形道・山形北インターまでが繋がり、以前は「日本のチベット」とも言われた山形が一気に便利になったのです。僕の故郷、天童の駅舎も現代的な建物に変わり、道路も大きく変わりました。国体後に初めて帰省したときには、駅から実家までの行き方がわからないほどだった。僕の家は天童駅から歩いて十分ほどの住宅地にあるのですが、いつも歩いて渡っていた踏切(のような、通路)が閉鎖されてしまったのです。

幼稚園に行くときに、歩いて線路を渡っていた「遮断機も警報機もない踏切」も、山形新幹線の開通に合わせて、閉鎖されました。僕の家があった「郭北住宅」と呼ばれたエリアから、奥羽本線を挟んで向こう側に行くために、近所の人たちが無理やり有刺鉄線を1メートルほど切断し、勝手に通れるようにした抜け道でした。その場所の先にはやはり1メートルにも満たないほどの小道が続いていたから、おそらく鉄道が通る前からその道はあったのでしょう。今じゃ考えられないけど、ここを通って僕は幼稚園に通ったんです。

子供たちだけで。勝手に線路に通路を作った大人も凄いけど、それに対して国鉄も警察も何も言わず、しかも幼稚園への通学路にさえなっていたんだから、今となっては信じ難い話だ。ここを渡ってすぐのところにある神社は、夏休みのラジオ体操の会場だったけど、大人も子供も、朝みんなで連れ立ってここを渡ってたんだから。こんな風に、昭和の「テキトー感」がまだたっぷりと残ってたんだな、あの頃は。今みたいに、まだいろんなものが管理されていなかったと思う。

しかもスゴイのは、普通の踏切なら、コンクリートで線路の周りが固められていて、スロープになっているんだけど、ここ当然、線路が剥き出しのまま。自転車に乗れるようになってからは、舞鶴山に行くにも、僕は紙芝居を見に神社に行くにも、天童で最初に出来たスーパー「マルタマ」に行くにも、「みつばち書店」に行くにも、レコード店「ミュージックショップ天童」に行くにも、いつも重たい自転車を持ち上げてここを渡った。

今でもハッキリと思い出せる。まず前輪を持ち上げて、二本あるレールの手前側を超える。そのまま自転車を引っ張ると、前輪が向こう側のレールに当たる。もう一度前輪を持ち上げてレールを越えようとすると同時に、今度は後輪が手前のレールに当たる。そこで僕は、力を振り絞って、一気に自転車全体を持ち上げつつ、前に進めて線路を脱出する。

当然、汽車が来るかもしれない。貨物列車だって走って来る。一歩間違えば、大事故に繋がりかねない。しかし、僕の育った集落の子供達は、年寄り達は、みんなこうしてここを渡った。ちっちゃな女の子達もだ。そして、僕の知る限り、一度も事故はなかった。

あの、重たくて持ち上げきれない自転車が線路に引っ掛かる感触と、コールタールの匂いを思い出すと、遠くに汽車が見えたときの緊張感と、汽笛の響きがリアルに蘇って来る。
僕が育ったのは、路地の匂いがする、そんな場所だった。

町が便利になるに連れて、山形弁を聞く機会はどんどん減っていた。インターネットの世の中になり、ますますそれは加速していった。今はもう会えない、じいちゃん、ばあちゃん、お母さん、弟を思い出すとき、彼らが僕に語りかけてくるのは、懐かしい山形弁だ。彼らが標準語を喋るのを、僕は聞いたことがなかった。今の山形の子供達はキレイな標準語を話すけど、僕らのころはみんなバリバリの山形弁だった。

東北弁はいつの時代も「笑われる」対象だった。東京の人に、「山形弁で何か喋って」と言われて喋るとみんなが笑う。何が可笑しいのかわからないが、みんな笑う。昔の僕なら、「なんで笑うんだよ」って、怒っていたかもしれない。でも、今は「それでいいじゃないか」と思う。喋るだけで、笑ってもらえる。そんな言語、なかなかないよね(笑)。
「笑い」と「幸せ」は密接に結びついている。幸せには必ず「笑い」が伴うし、笑いのない幸せなんてないのだから。山形弁(東北弁)は、「しあわせを運ぶ言葉」だったんだ。

前作「かえずのながさはえずばへっで」は、予想をはるかに超える反響をいただきました。山形県内の方はもちろん、全国に散らばっている山形県人から、「いやー、笑った笑った」ってね。うれしいっけよ。今回は、オリジナル2曲に、山形県民必殺のキラーチューン「山形県スポーツ県民歌」をレゲエ・バージョンで、僕が卒業した今はなき「県立楯岡高校」の校歌も弾き語りで収録してあります。山形尽くしの4曲、山形県人も、そうでない人も、どうぞ心ゆくまで楽しんでけらっしゃいっす!

平成30年、とんでもなく暑かった夏の終わりに

湘南・茅ヶ崎にて 山口岩男

 

歌詞&対訳

歌詞

「ちょすなず〜袖崎哀歌」

作詞・作曲 山口岩男

1、ちょすなず ぶぐすとわれさげ
ちょすなず 高いんだっけじぇ

ほっだい ちょすだいごんたら
ずぶんのば ちょせず

お前さ貸すどは ぶぐすさげ
貸すだぐないあだず

まよえてゆたたて まよわねべ いっつもほだなだも

ちょすなず ぶぐすとわれさげ
ちょすなず 高いんだっけじぇ

2、ないだて おんなずものば
お前も 持ったんだけどれ

どごで買ったけなや? おへでけねが?
おらえんなよりも すこすばり あだらすいなんねが

こごらでほっだな高いもの 誰も持てねべな
ないだて おんなずものば お前も 持ったんだっけどれ

村山盆地に雪が降る 今年も冬が来る
袖崎過ぎたら忘れよう あなたの想い出は

ちょすなず ちょすまわすすんなず ちょすなず
てしょずらすいさげ

「なんぼでもたがてげたんともてげ」

作詞・作曲 山口岩男

※うんつころあっさげ なぼでもたがてげ
ほっごさあっから なぼでも持てげ
黙って持てても さーすけねさげ
ほっごさあんなば みなもてげ
こっちゃ来たどぎ寄てんげちゃ
お前のシャデ(弟)もちぇで来いちゃ

どごがら来たなだ?なえだてやず(谷地)が?
おらえのばんつぁは 溝延だ
お前のずんつぁさ 訊いでみろ
すんぜぎ(親戚)あがも すんねがら
すんせぎだげごっぱ なお さすけねず
なんぼでもたがてげ たんと持てげ

※繰り返し

「なんぼなえだて こっだい たがてんがねあず
すこす(少し)ばりで いいあだけず
こだい持てってもしゃーますするばんだがらよは」

お前のシャデ(弟) バッツ(末っ子)のシャデ
どこさ入ったんだけ? ないだて村農?
やんばいあっべ?お前のシェ(家)がら
弁当たがて ずでんしゃ(自転車)すぱて
汽車さぬて んぐあんべ?
学校さんぐのも 楽んねべ?

こっだい暑いど しぇんぷき(扇風機)も効がね
つったいものばり喰て 腹溶げで
んだたて熱いな 喰うだぐねすよ
キュウリだのトッキビだの なんぼでもあっすよ
畑で採て来て味噌つけで ほっだなものばり喰てんなだず

※繰り返し

「あらます終わたがらよは、シェ(家)さ、帰っべは
あんまりかしぇぐどは、こす(腰)いっだぐなっさげてよ
はやぐシェさ帰ては かが(奥さん)ど ビール呑みすんべは
悪れ(悪い)なぁ ありがどさま!」

うさ(お前)シェさ 帰て ママ(ご飯)あんなが?
喰うものねあだら おらえで喰てんげ
茄子漬げ やんばい あんなだず
あずのもと(味の素)かげっどんまいあだ
足んねごったら そうめん茹でんべ
かがあど 二人ばんだど 余すさげ

んだらこのまま ごっつぉなってんかな
うず(家)さ帰ても 何ももねあだ
晩かだまで 誰も帰て来ねす
早ぐ帰たたて しょうないあず
ずてんしゃで来たがら 暑づくてよ
涼すぐなてがら 帰んべちゃ

※繰り返し

セリフ3「今日あっづいけもねぁ
あすたもあっづいなだど ないだてにゃあ」

なんぼでもたがてげ たんと持てげ

対訳

以下、対訳※山形弁には風土に根ざした独特の表現が豊富にあり、完全には標準語に訳せない言葉が多いです。これはあくまで「意訳」であり、完全な「翻訳」ではないことをご了承ください

「ちょすなず(触るなよ)〜袖崎哀歌」

1、触るなよ (お前が)壊すといけないからさ
触るんじゃないよ (それは)高かったんだぞ

そんなに 触りたいんだったら
自分のを 触ればいいじゃないか

お前に貸すと 壊してしまうから
貸したくないんだよ

弁償しろって言っても しないだろ?
いつだって そうじゃないか

触るなよ 壊すといけないだろ
だから、触るなって! 高かったんだからね

2、なんとまぁ、同じものを
お前も 持ってたんじゃないか

どこで買ったんだったのか 教えておくれよ
俺の家にあるものより ちょっと 新型なんじゃないか?

この辺でそんなに高いものは 誰も持ってないだろうな

なんとまぁ、同じものを
お前も 持ってたんじゃないか

村山盆地に雪が降る 今年も冬が来る
袖崎(山形県村山市北部の集落)
過ぎたら忘れよう あなたの想い出は

触るなよ 触っていぢくりまわすんじゃないよ
触るなよ うっとうしいから

「なんぼでもたがてげたんともてげ」
(いくらでも持って行きなさい、たくさん持って行きなさい)

※山のようにあるから いくらでも持っていけ
そこにあるから 好きなだけ持っていけ
黙って持って行っても(私に断らずに)構わないから
そこにあるものは 全部持って行きない
こっちに来た際には 寄って行きなさい
君の弟も連れて来なさい

どこから来たんだい?なんだって、谷地(山形県河北町の中心部)かい?
僕のおばあちゃんは溝延(山形県河北町内の集落)生まれだよ
君のおじいさんに訊いたてみれば 親戚かも知れないよ
親戚だったら、なお構わない
いくらでも持って行きなさい、たくさん持って行きなさい

※繰り返し

「いくらなんでも こんなには持っていけないよ
少しだけでいいんだよ
こんなに持って行っても 持て余してしまうばかりだからさ」

君の弟 末っ子の弟
(高校は)どこに入ったんだっけ? なんだって、村農?
(県立村山農業高等学校、現在は村山産業高等学校に併合)

君の家からは(高校まで)ずいぶん(距離が)あるだろう?
弁当を持って 自転車に乗って(さらに)
汽車(山形ではかつて電車を「汽車」と呼んでいた)に乗って行くんだろう?
学校に行くのも 楽じゃないね

こんなにも暑いと 扇風機も効かないね
冷たいものばっかり食べて お腹がゆるくなって
そうは言っても 熱いものは食べたくないしさ
キュウリとかトウモロコシとか いくらでもあるから
畑で採って来て味噌を付けて……そんなものばっかり食べているんだよ

※繰り返し

「だいたい終わったからさ、家に帰ることにするよ
あんまり働くと 腰が痛くなるからね
早く家に帰って 女房とビールでも飲むとするか
いろいろと悪かったね、どうも有難う!」

ところで、君は家に帰ったら ご飯用意されてるのかい?
もしご飯の用意がないのだったら 僕の家で食べて行きなよ
茄子漬けがたくさんあるんだ
*味の素をかけると美味しいんだよ
足りなかったら そうめんを茹でよう
(うちの)女房と二人だけだと 残ってしまうから

*(注)山形県人には、漬物などにたっぷりと化学調味料をかける人が多いです。最近では、めんつゆや漬物の素なども、化学調味料入りのものが過剰に使われる傾向にあり、これは全国的な健康志向には反しており、「山形県人の味覚がおかしくなっているのでは?」と作者は危惧しております。

そうであれば ご馳走になっていこうかな
家に帰っても 何も無いんだよ(たぶん)
夕方まで誰も帰ってこないし
(僕が)早く帰っても しょうがないんだ
自転車で来たから暑くてさ
涼しくなってから 帰るとしようか

※繰り返し

「今日は暑かったものな
明日も暑いんだって なんとまぁ……」

いくらでも持って行きなさい、たくさん持って行きなさい